岡山市にあるファシア整体ソムアートの山下 良和(やました よしかず)先生へのインタビュー、第2回です。

山下 良和【ファシア整体ソムアート】岡山
Solechika.PRO/s/Yoshikazu_Yamashita/
前回は、山下先生の子供時代から、清掃業で独立するまでの道のりを伺いました。第2回は、そんな山下先生の20代から30代にかけて訪れた、大きな転機について伺います。
第2回
『値段のつかないもの』

清掃業で独立されたあと、しばらくはそのまま続けられていたんですか?
はい、しばらくは岡山で清掃業一本でやっていました。ただ、あるとき国内で “ボランティア活動をする機会” があったんです。3か月くらいの短い期間だったんですけど、そこで知り合った方に声をかけていただいて。
「海外でこういうことをする予定があるので、ちょっと手伝ってもらえたら嬉しいです」と言われたのが最初でした。“人と仲良くなるのが得意そうだから” というのが理由だったみたいです。それがきっかけで、カンボジアに行くことになりました。
清掃業を続けながら、どうやってカンボジアと行き来されていたんですか?
完全に無給のボランティアだったので、生活費は自分の貯金でまかなっていました。1年のうち9ヶ月間カンボジアでボランティアを活動して、残りの3ヶ月は日本に帰ってきて働く。日本で稼いだお金で、またカンボジアで生活する。それを4年半くらい続けていました。
清掃の仕事は、父にお願いして代わりにやってもらったり、それまでに培った知り合いの業者さんにお願いしたりして。私が日本に帰ってくると、みなさん優しく仕事を返してくれたんです。もし返してもらえなかったら、そのときはアルバイトでもして、清掃業自体を廃業してでも続けるつもりでいました。
カンボジアでの具体的な活動内容を教えてください
建物を建てる組織自体が、当時は監督が2人だけという小さなチームだったんです。まずは資材や道具を集めて購入する必要があって、私はその購入と価格交渉を担当していました。
カンボジア人と直接交渉して、良いものを安く手に入れる。その資材が揃ったら、数か月後に建てるチームが来て実際に建てていく、という流れです。私自身は建てる方はやっていなくて、いわば「買い物係」でしたね。

言葉の壁はどう乗り越えられたんですか?
カンボジア語はもちろん話せませんでしたし、最初は擬音と笑顔と日本語で乗り切っていました(笑)
ただ、実際にそこに住んで生活していたので、3か月後くらいには、資材屋の社長とその秘書の方と3人で雑談できるくらいにはなっていたと思います。
座学でカンボジア語を勉強したことは一度もありません。とにかく現地の友達をたくさん作って、日本語ができるカンボジア人の子に「この単語は何て言うの?」と少しずつ教えてもらいながら、自然に覚えていった感じです。
現地で特に印象に残っている出来事はありますか?
カンボジアの人たちは、基本的に日本人にとても友好的なんです。おそらく、いろいろ助けてもらってきた歴史があるので。ただ、私の仕事は値段を下げてもらう交渉が中心だったので、そこは簡単ではありませんでした。
海外に赴任してきている日本人の方って、通訳を連れてきて「これが欲しい、どうにかしろ」というふうに、少し偉そうに買い物をすることが多いらしいんです。私にはそんなスキルもお金もなかったので、まずは抱きついて「友達、友達!」と言いながら、たどたどしい言葉でお願いして頼み込む、というやり方をしていました(笑)
そうしたら「こんな日本人は初めてだ!」と言ってもらえて、すごくやさしくしてもらえるようになったんです。ある時なんて “仕入れ表そのもの” を見せてくれたことがあって。
「これくらいの値段で仕入れているから、この値段でどうだ?」って。他の日本人ではまずあり得ない交渉です。それも、仲良くなれたからこそだと思っています。
半年ほど経った頃、建築系のエキスポのようなイベントに呼ばれて行ってみたら “会場にいたのがほとんど知り合い” だったんです。ブースを回るたびに「おお!」とハイタッチしてもらえて。
「ああ、自分は本当に足で稼いで頑張ってきたんだな」というのが、そこで実感としてわかりました。
日本との違いを特に感じたことは?
貧富の差はすごく激しかったです。私が住んでいたプノンペンという街も、少し行くとスラム街があって、夜は出歩けないような場所もありました。
それでも、家族の絆はとても強い国でした。仏教の教えがベースにあるからだと思うんですが、お年寄りがすごく大切にされていて。
日本だとお年寄りが何か言うと「老害」なんて言葉が使われてしまうこともありますけど、向こうはそうではなくて、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが偉ぶるわけでもなく、みんな和気あいあいと過ごしている。貧しくても、家族というコミュニティが本当に幸せそうなんです。
「お金がなくても、幸せとは関係ないんだな」というのをそこで強く感じました。お金中心で、ものごとを見なくなったのは、あの経験があったからだと思います。

奥様とは、最初どのように出会われたのでしょうか?
路上で出会いました。
土地を探している知人のバイクの後ろに乗って街を走っていたら、その知人が路上で知り合いの男性と偶然会って、いきなり立ち話を始めたんです。その男性の隣に、彼女がいました。そこで一目惚れをしました。
日本人だとわかった瞬間に、テンションが上がりましたね(笑)
外国人だと国際結婚のこととか、いろいろ考えてしまうので。
それで、彼女が足ツボ師をしているということも、そのときに知りました。
どのように仲が進展していったのですか?
正直に言うと、最初はもう完全に下心です(笑)
「会いたいから、お金を払ってでも、足ツボ施術を受けに行こう」という考えでした。足ツボの効果を期待していたわけじゃなくて “ただ会いたい” 一心で。
そうしたら、初めて施術を受けたときに「入院するくらい体が悪い⋯⋯」と言われてしまって。1時間きっちり施術を受けたら、次の日は熱と下痢で動けなくなってしまったんです。好転反応というやつですね。でも、その次の日にはスカッと元気になっていて。
「足ツボって、すごい!」と思って、そこから本当に足ツボに興味が湧きました。

結婚までは、早かったんですか?
はい、かなり早かったと思います。2013年7月10日に初めて出会い、そこから半年間ほど足ツボに通いました。いろいろ話しているうちに「思った通りの人だな」と感じました。
翌年1月に正式なお付き合いが始まって、その10日後にはプロポーズ、そして出会った日からちょうど1年後、2014年7月10日に結婚いたしました。
結婚生活はどのようなものでしたか?
私自身、結婚願望なんてまったくなくて、一人で楽しく生きてきた人生だったんです。二人で暮らすのは窮屈かなと思っていたんですが、意外にすごく心地よくて。妹がいるので女性の感覚がなんとなくわかっていたのも良かったのかもしれません。
結婚した頃には、建設のボランティアの仕事はもう卒業していました。資材も揃えて、ルートも開発して、私の役目は終わっていたので。今度は妻と同じベトナム語を話すグループの方に入って、ベトナム人の支援活動に切り替えていました。
だから、24時間ほとんど妻と一緒。日本で結婚していたら、お互い仕事があって時間がすれ違ったと思うんですけど、カンボジアではそういうこともなく、本当にいい新婚生活を送れたなという印象があります。
足ツボを本格的に学ばれたのには、どんなきっかけがあったんですか?
実は私 “慢性的な頭痛” を抱えていたんです。
27歳くらいのときに交通事故に遭って4か月ほど寝たきりになったことがあったんですが、その後遺症だったと思います。バファリンの箱を、カンボジアに6箱くらい持っていったくらいで。
それが、妻に足ツボをしてもらったら治ったんです。そこから足ツボをすごく信じるようになりました。
それに、私への結婚条件が「足ツボを覚えること」だったんですよ(笑)
“夫婦でお互いに、足ツボを施し合うということ” が前提。
カンボジアでは病院に行くのも大変で、ちゃんとしたインターナショナルの病院だと1回4万円くらいかかってしまいますし、現地の安い病院だと3,000円くらいで済むんですが、ちょっと怖くて行けない。
そういう事情もあって、病気になる前に防ぐ、いわゆる「未病」のために、週に1、2回お互い足ツボをし合っていたんです。そうしたらまったく病気にかからず、楽しく生活できて。これは本当にすごい施術だなと思って、自分でも必死に練習して、その後は清掃業の副業にまでなりました。
妻自身、カンボジアで開業している整体師の方のスクールで、足ツボの講師をしていたこともあったんです。教える立場でもあったので、そういう意味でもきちんとした技術なんだなと感じていました。
足ツボの仕事には、どんなやりがいがありましたか?
清掃の仕事と共通するところがあって、結果がすぐにわかるので、喜んでもらいやすい仕事なんですよね。足ツボをしていると、足の形がすっきりしたと言ってもらえたりして。
中でも忘れられないのは、2人のお客さんの癌を見つけた出来事です。どうしてもほぐれない “しこり” があって、「これは医療機関で診てもらってください」とお伝えしたら、実際に癌が見つかったんです。
その方から「命の恩人だ!」と言っていただいたときは、本当にやりがいのある仕事だなと感じました。
その後は日本に戻られたのですか?
子供が生まれたのを機に、日本へ帰ってきました。
それで、清掃業をまた復活させて、しばらくは清掃と足ツボを続けていました。


山下 良和【ファシア整体ソムアート】岡山
Solechika.PRO/s/Yoshikazu_Yamashita/
第2回を終えて
お話を伺っていて印象的だったのは、山下先生の「まっすぐさ」が、カンボジアという場所でまったく違う形で花開いていたことでした。第1回で伺った、考える前に動いてしまう性分が、ここでは「友達友達と言いながら抱きついて交渉する」という、誰にも真似できないスタイルになって、現地の人たちの心を動かしていたんですね。
そしてもう一つ、価格交渉という「値段をつける仕事」をしていた山下先生が、家族の絆や、路上で出会った一目惚れの相手のように “値段のつけられないものの価値に気づいていく過程” が、とても丁寧に語られていたように思います。
次回はいよいよ、山下先生が整体師としての道を歩み始める第3回です。清掃業を続けられなくなった大きな出来事と、コトー先生との出会いについて伺います。
編集ノグチ