ファシア整体ソムアート「山下良和」先生:第1回

インタビュー

岡山市にあるファシア整体ソムアート山下 良和(やました よしかず)先生へのインタビューです。

山下 良和【ファシア整体ソムアート】岡山
Solechika.PRO/s/Yoshikazu_Yamashita/

山下先生は、合理的でまっすぐな性分を持ちながらも、若い頃には道を外れてしまった時期もあったと言います。第1回は、そんな山下先生がどんな子供時代を過ごし、どんな出来事を経て、今につながる性分を育んできたのかについて伺いました。


第1回
『まっすぐという不器用』

幼少期はどんな子供でしたか?

島根県の出雲市で生まれて、その翌年に岡山へ引っ越してきました。幼稚園には通っていないんです。小さい頃はずっと母と一緒に過ごしていました。幼稚園に通っていなかった分、協調性というものがあまり身につかないまま小学校に上がってしまったんですよね(笑)

集団登校ってあるじゃないですか。みんなで安全な道をぐるっと回って行くんですけど、僕はそれに納得がいかなくて。家と学校を最短距離で結んだら「田んぼを突っ切るのが一番早いだろう」と考えて、一人でそっちを歩いて通っていました。

実は、小学校の1、2年生の頃は、女子からかなりいじめられていたんです。集団登校の輪に入らず、一人で行動していたことも関係していたかもしれません。でも、3年生くらいから体つきがぐんと大きくなって。それが母親譲りなんですが、そこからはまったくいじめられなくなりました。

その経験があったからだと思うんですが「弱いものをいじめる」ということが、心の底から大嫌いな人間になったんです。強いものには立ち向かっていくけれど、弱い人にはやさしくする。そういう性分が、あの頃にできあがった気がします。

ただ、田んぼの近道は、結局6年生まで続けていました。6年生になると、集団登校で小さい子たちを連れて行く役割が回ってくるんですけど、それが嫌で。結局そこでも一人で、黙々と田んぼを歩いて学校に通っていましたね(笑)

ご家族はどんな方でしたか?

母の教えは「借金してでも人をもてなせ」だったんです。
実際に、学校の先生を家に招いて食事をふるまったこともありました。母には内緒で(笑)

あと「女性にはやさしくしなさい」というのも、幼少期からずっと言われ続けてきたことです。

クリスチャンの家庭で育ったこともあって『自分のためというより人のために』という考え方を、幼い頃から自然と教えられていた気がします。今思うと、小学生の頃からお小遣いやお年玉をもらうと、それを人に何か買ってあげることに使うのが好きな子供でした。人に何かをして、喜んでもらうこと自体が、昔から嬉しかったんだと思います。

自転車からやがて⋯⋯

学生時代はどんなことをしていましたか?

小学校の頃はわりと成績が良かったんですが、中学に上がってからはプロレスに夢中になって、毎日友達と暴れていましたね。3年間でガラスをかなり割ってしまって、それは父の仕事を手伝って稼いだお金で自分で弁償していました。それでも、中学時代の友人関係自体はすごく楽しくて、それまでの一人でいることが好きな性格が、少し変わったように思います。

朝4時くらいから仕事をしてから学校に行くこともあったので、遅刻や欠席も多くて。それで高校受験に失敗してしまって、地元でも指折りに荒れていると言われる学校に進むことになったんです。

ここから先は、お恥ずかしい話なんですが……生徒のほとんどがヤンキーという環境で、僕自身も暴走族に加わって、荒れた生活を送っていた時期がありました。今振り返ると、決して誇れるようなことではなかったと思っています。ただ、体つきがゴツかったこともあって、その世界の中でも埋もれずに過ごしてしまっていた、というのが正直なところです。

更生を決意されたきっかけは?

一緒に走っていた友達が、薬物や事故で亡くなってしまうことが、立て続いた時期があったんです。それを目の当たりにして「これはもう自分の人生を見直さなきゃいけない」と思いました。

誰かに反対されたわけじゃなく、あくまで自分の中で「もうこの道は卒業しよう」と決めて、そのまま道を変えていった感じです。

大きな転換期だったと思います。
今でも、あのとき自分の意思で更生できて、本当に良かったと思っています。

今振り返ると、ご自身はどんな性格だったと思いますか?

考える前に、まず行動してしまうタイプでしたね。

それが良いことなのか悪いことなのか、やってみてから判断する。深く考えずに動いて、それから振り返るという生き方を、ずっとしてきたと思います。良くも悪くも、それが自分なんだと思います。

学校を卒業されてから、どのような流れだったのでしょうか?

父が清掃業を営んでいて、小学生の頃からずっと手伝っていたんです。休みの日はもちろん、休みじゃない日も朝手伝ってから学校に行くこともあって。高校を卒業する頃には、もう技術はほとんど身についていました。だから、どこかに就職するという発想はなくて、そのまま個人事業主として独立しました。

専門にしていたのは、エアコンの清掃とハウスクリーニングです。エアコンの清掃なんて、当時はまだあまり知られていない仕事だったんですけど、そこに目をつけてやっていました。結果を出したらすぐに喜んでもらえる仕事だったので、僕には合っていたんだと思います。

大変だったことはありましたか?

実は、清掃業をしていた20代の頃に、大きな交通事故に遭ったことがあるんです。停車中に時速70kmで追突されて、4ヶ月間寝たきりの生活を送りました。その頃、操体法の先生に出会って、身体を治してもらったんです。

「人の手で身体が良くなる」という感覚を、あのとき初めて肌で知ったのかもしれません。

そこから、どんな展開があったのでしょうか?

29歳になると、急に「田舎に住みたい!」と思い、岡山県真庭市へ引っ越したんです。

そして、なぜか思い立ってホットドッグ屋を始めました。
自分でもなんで急にホットドッグだったのか、あまり覚えていないんですけど(笑)

思ったら行動するタイプなんです。

2坪くらいの中古のログハウスをどんと置いて、お持ち帰り専門のお店にしました。そうしたら、県北の方でテレビにも取り上げてもらって、ちょっとした人気店になりました。

考える前に、まず動いてしまうんですよね、昔から。
それで案外うまくいってしまうことが多くて、自分でも不思議なんですが(笑)

思い立って始めたホットドッグ屋

山下 良和【ファシア整体ソムアート】岡山
Solechika.PRO/s/Yoshikazu_Yamashita/

第1回を終えて

お話を伺っていて感じたのは、山下先生が良くも悪くも「まっすぐ」に生きてきた方だということでした。集団の列を離れて田んぼを近道した少年時代も、道を外れてしまった十代も、そこから自分の意思で立て直した瞬間も、遠回りをせず “思ったことをそのまま行動に移してしまう不器用さ” が、一貫して山下先生を形づくっているように思います。

そしてもう一つ、いじめられていた経験から「弱いものをいじめる人間が嫌い」という芯が生まれ、それが今の仕事にもつながっているように感じました。合理的で、まっすぐで、そして誰かのために動いてしまう。この矛盾しているようで矛盾していない性格が、次回以降の物語の土台になっていきます。

次回は、その「まっすぐさ」がやがて山下先生の人生を大きく動かすことになる “カンボジアでの経験” について伺います。

編集ノグチ