この記事の目次
神奈川県横浜市・綱島で整体サロン『リーン』- Rə:eN – を営む、レン・ヤジマ先生。

レン・ヤジマ【整体サロン リーン】神奈川
Solechika.PRO/s/Ren_Yajima/
全3回でお届けするレン・ヤジマ先生のインタビュー、第2回は大学卒業後の歩みです。親の反対を押し切って整体師になり、待遇への不安から一度は整体を離れ、6年間の会社員生活を経て、30歳で再び整体の世界へ戻る。「自分は整体が好きなんだ」と気づくまでの遠回りと、戻ってから直面した新しい迷いを伺いました。
第2回
『道をつくる』

就職活動は、どのように始めましたか?
大学3年の秋くらいから、テニス部の先輩に話を聞いたり、いろいろな会社の説明会に行ったりし始めました。業種は絞らずに、幅広く見ていましたね。
将来こうなりたいという具体的な像はなかったんですけど、漠然と「誰かが幸せになることに携わる仕事がしたい」という気持ちはありました。親からずっと公務員になりなさいと言われていたので、公務員の説明会にも足を運びましたし、法学部だったので周りが受けるような一般企業の説明会にも行きました。
ただ、どこに行っても自分がそこで働いている姿がまったく想像できなかったんです。銀行の窓口に座っている自分も、スーツを着て営業に回っている自分も、頭に浮かんでこない。
その中で唯一、働いている自分の姿がはっきり浮かんだのが、整体サロンを運営している会社の説明会でした。大学で部員の体を触っていたときの感覚が残っていたんだと思います。ここなら自分がやっている姿を想像できる、と思って、そこに決めました。
ご両親の反応はいかがでしたか?
猛反対でした。電話で伝えたんですけど、法学部を出て公務員になると思っていた息子が整体師になると言うわけですから。当時は今よりも整体師という職業の社会的な地位が低く見られていたと思いますし、親からすれば「そんな仕事をさせるために大学まで出したんじゃない」という気持ちだったと思います。
何日も、何度も話し合いました。僕は「人の体を整えて喜んでもらえる仕事がしたい!」と伝え続けて、最終的に母が「あなたが人のためにしてあげたことで、その人が喜んでくれるのなら、頑張りなさい」と言ってくれて。それでようやく納得してもらえました。
小さい頃からずっと親に従ってきた僕が、初めて自分の意思で選んで、親と対立してでも通した進路だったと思います。
整体師としての最初の日々は、どんなものでしたか?
入社してすぐは本社での研修で、それから店舗に配属されて OJT でした。店舗に入ってからも、営業時間が終わった後に先輩に技術を見てもらったり、休みの日に会社のイベントに参加したりと忙しかったですね。家に帰れば家族の体を借りて練習していました。
想像していた通りの仕事でした。施術できることが嬉しかったですし、何よりも来てくださった方に感謝されることが、やりがいそのものでした。
そこから、なぜ一度整体を離れることになったのでしょう?
時間が経つにつれて、この仕事を続けていくことへの不安が募ってきたんです。
同年代の社会人と比べると、待遇も給料も見劣りしていました。久しぶりに会った大学の同級生に現状を話すと驚かれましたし、給料の差は倍以上あった。次第に劣等感を抱くようになりました。
それに、自分の店の店長を見ても、世間で言う新入社員くらいの給料しかもらっていない。この先ずっと続けても、その程度なのかと。
当時、今の妻と付き合っていて、結婚を考える時期でもありました。周りが結婚していく中で自分だけ取り残されていく感覚があって、この状態で結婚を申し込むことはできないなと思ったんです。
このままではいけないと思って、2年で退職することを決めました。親は反対を押し切って入った仕事だったので、辞めると伝えたときは、むしろほっとしたような反応でしたね。

転職先では、どんな仕事をされていましたか?
業務用の陶磁器を卸す会社に、営業として入りました。外回りだけでなく、見積や請求書の作成、在庫管理といったデスクワークもやっていました。
待遇も給料も整体師時代より数段上がって、やっと普通のサラリーマンになれたような気分でした。整体のことは、もう戻ることはないだろうと思っていました。
「自分は整体が好きなんだ」と気づいた出来事があったそうですね。
営業に入って2年目くらいのときです。取引先の担当の方と話していて、体がつらいという話になって、流れで「ちょっと見てみましょうか」と施術をすることになったんです。
整体を辞めてからほとんど体を触っていなかったので、自分としては納得のいく施術ではありませんでした。それでも、その方がすごく喜んでくれて。営業がうまくいったときとも、提案がスムーズに決まったときとも、ボーナスをたくさんもらえたときとも違う、はっきりと大きな充足感がありました。
あのときに『自分は整体が好きなんだ』と気づいたんだと思います。この日から「また整体師に戻りたい」という気持ちが芽生えました。
ただ、当時は生活を優先すべき時期だと思っていたので、その気持ちには蓋をして、そのまま月日が流れていきました。
営業の仕事は、どのように続いていったのですか?
陶磁器の会社には3年いました。嫌な上司との関係や、気難しい取引先の方との折衝がすごく多くて、心身ともに疲弊していきました。仕事から来る心と体の疲れというのは、あのとき身をもって理解したと思います。
その後、マラソン大会の運営を手掛ける会社に転職して、そこでも3年働きました。待遇はさらに良くなりましたし、結婚もこの時期にしています。
でも、出社前に会社の近くの公園で一息ついていると「自分は本来の力の6割か7割くらいしか出せていないな」と思うんです。悪い環境ではなかったんですけど、全力を出している感覚がなくて「このままじゃいけない」という気持ちがどこかにずっとありました。
再び整体に戻るきっかけは?
整体師だった頃の同僚の結婚式に呼ばれたんです。そこで、当時のエリアマネージャーだった方と再会しました。話を聞くと、その方は会社から独立して自分で会社を立ち上げ、整体サロンを運営していて、整体師を募集していると。「一緒にやらないか」と声をかけてもらいました。
そのとき僕は30歳で、結婚して2年目でした。戻れば今より待遇も給料も下がることは目に見えていました。
妻に相談したら「本当にやりたいことなら応援する」と言ってくれました。家族に心配や不自由をかけないことを約束して、整体師に戻ることを決めました。

一度目の整体師時代と、二度目とでは、何が違いましたか?
覚悟が違いました。一度目は「やってみたい」で入った仕事でしたけど、二度目は一度離れて「それでも戻りたい」と思って選び直した仕事でしたから。今度は追究し続けようと決めていました。
戻ってからまず始めたのは、技術を取り戻して、向上させて、理解を深めることでした。書籍を読み漁って、教材を片っ端から買って、試行錯誤しました。
あるとき、いろいろな整体を受けてきたお客様に「ヤジマ先生の施術は一味違うね」と言っていただいたことがあって、すごく嬉しかったですね。僕はお客様と話すときは話して、施術に集中するときは黙る、というメリハリをつけていて、沈黙の時間も大切にしているんですけど、そういうところが違いとして伝わったのかなと思います。
順調に見えますが、悩みはなかったのでしょうか?
いくつかありました。
一つは〈会社の方針とのズレ〉です。会社としては、回数券を売ることや、リピート率を上げることを求めます。それは社員を守るためだと理解はしていました。でも僕は、来てくださった方に早く良くなってほしいという気持ちが強くて、通わせることを前提にした考え方に、どうしても違和感があったんです。
もう一つは〈技術の迷走〉です。教材を買い集めて、いろいろな考え方や手法に触れれば触れるほど「何が正解なのか分からない⋯⋯」という状態になっていきました。本を読んでも、DVD を見ても、自分が目指すべき整体の形がなかなか見えてこない。
そんな時期に、一本の DVD に出会いました。“頭の技術を解説した教材” だったんですけど、そこに映っていたのは、ローリング・ストーンズのTシャツを着た、長髪の整体師だったんです。

レン・ヤジマ【整体サロン リーン】神奈川
Solechika.PRO/s/Ren_Yajima/
第2回を終えて
一度目に整体師になったとき、ヤジマ先生は初めて、親と対立してでも自分の進みたい道を選びました。
けれど、好きな仕事を選んだからといって、それだけですべてがうまくいくわけではありません。
待遇や将来への不安から整体を離れ「普通のサラリーマン」になり、結婚し、生活を築いていく。その6年間の途中で、偶然誰かの体に触れたことで、離れたはずの整体が自分にとってどんなものだったのかに気づいていきます。
やりたいことを選ぶことと、それを続けて生きていくことは、同じではない。
一度離れたからこそ、自分は整体が好きなのだと知った。
そして、戻ることで失うものも理解したうえで、それでももう一度、自分の意思で整体を選んだ。
一度目の「やってみたい」は、6年という遠回りを経て、二度目の「追究し続けたい」へと変わっていました。
けれど、ようやく戻ってきた整体の世界でも、ヤジマ先生は新たな迷いにぶつかります。
技術を学べば学ぶほど、何が正解なのか分からなくなる。
そんなときに目にした一本の DVD。
そこに映っていたのは、ローリング・ストーンズの T シャツを着た、長髪の整体師でした。
第3回は、ヤジマ先生が「恩師」と呼ぶコトー先生との出会いから、綱島での独立開業、そして「整体サロン リーン」のこれからまでを伺います。
編集ノグチ
編集ノグチ